音楽の父を産んだ息子 ベルリンのバッハは300歳

音楽の父バッハ。

来月から子どもたちも小学校の音楽教室で、ズラリと並んだ肖像画や彫像を見ながら「音楽の父バッハ。音楽の母ヘンデル。交響曲の父ハイドン・・・」と先生から学ぶのでしょう。
外国の昔の人は髪が巻き毛で金髪で、福々しく優しい眼差しで。王様やお姫様たちの前で光りに包まれて誇らしげに演奏している姿をイメージしてしまいます。

クラシック音楽の最初の作曲家は修道尼。誰もが買える楽譜出版をした作曲家としてはモンテヴェルディが最初のヨーロッパ中に知られる名前でしょう。
ヨハン・セバスティアン・バッハ以前のドイツ三大Sに数えられる作曲家たち。同時代のイタリアの作曲家ヴィヴァルディ。バッハの先輩筋でバッハの息子たちも多大な恩恵を受けたテレマンを差し置いてバッハを音楽の父としたのは、その息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハでした。

今でこそヨハン・セバスティアン・バッハと言えば、ほかのバッハが霞むほどの存在ですが聖トーマスのカントルという当時の演奏家にとって最高位にあったと言っても彼の音楽は教会の独占。そう言う独占体制にメスを入れようとしたのもバッハでした。
街角のコーヒーハウスで演奏会を開いて、教会で聴く音楽とは違う親しみやすい音楽で寛がせる。それが音楽が広まる原動力になることを期待してコレギウム・ムジクムを教会での仕事が無い時に開催しました。それまでは賛美歌などの宗教曲をアマチュアの合唱隊が歌って聞かせることはありましたが、教会や貴族の門前で演奏をする有名な演奏家が参加して聞かせることはありませんでしたからコレギウム・ムジクムは、どんなに褒め称えられる活動でしょう。
でも、このコレギウム・ムジクムの元々の草案はテレマン。バッハはそれを時流で模倣しただけです。

父への感謝と家族たちの記憶のために

紙数が尽きそうなので結論。
小学校に通い始めて子どもたちは、共同して時間を過ごす友だちと仲良く学ぶことは教わるでしょうけれどもクラスのスローガンや校訓は昨今はどういう扱いなのでしょう。大事なのは両親への感謝、近所の人達の力添えで自分があること。バッハの時代300人ものバッハ姓の音楽家が活躍していました。
父、ヨハン・セバスティアン・バッハを記憶にしておいて欲しいとカール・フィリップ・エマニュエル・バッハは願い、戦争を応援する音楽ではなく平和を思う音楽を作曲するのを選んだのでしょう。

東京大空襲があった3月8日は、カール・フィリップ・バッハの誕生日でした。

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