伝統の強み? ― 本盤は、ウィンナ・ワルツが骨の髄まで染みこむなど職人気質を持つヴィリー・ボスコフスキーによるシュトラウスやレハールではないワルツ集。「ワルツの世紀」とも呼ばれる19世紀初頭、ウィーンにミヒャエル・パーマーという音楽家の率いる楽団があった。ウィンナ・ワルツを創始するヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウス1世はともにパーマー楽団の団員であった。ふたりは「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争の中で、ウィンナ・ワルツを発展させていった。当時のウィーンで圧倒的な人気を誇り、ショパンにウィーンで『華麗なる大円舞曲』を出版することを断念させたほどだ。ランナーのファンにはシューベルトがいたし、シュトラウス1世の息子ヨハン・シュトラウス2世はウィンナ・ワルツの黄金時代を築き、ロシアのチャイコフスキーやフランスのワルトトイフェルなどにも多大な影響を与えた。シュトラウス2世を始めとするウィンナ・ワルツの作曲家たちは、ワルツと同様にポルカや行進曲などの作曲も手掛け、さらにウィンナ・オペレッタの分野にも進出し重要な役割を果たした。しかし、ここではワルツに限定して話しを進める。ウィンナ・ワルツは、19世紀のウィーンで流行しウィーン会議を通してヨーロッパ中に広まっていった3拍子のワルツ。ウェーバーは「舞踏への勧誘」と題したピアノ曲でワルツを初めて芸術音楽として紹介し、それを管絃楽に編曲したベルリオーズは交響曲の中にワルツを初めて登場させた。チャイコフスキーはバレエ音楽にワルツを組み込んだが、ウィンナ・ワルツにおける3拍子は、2拍目をやや早めにずらすように演奏される均等な長さを持たない独特の流動感を生んでいるが、これは当時の演奏習慣ではなく20世紀中頃に成立した習慣である、とする見解もある。1899年のシュトラウス2世の死やワルトトイフェルの引退などによって、世紀末に一区切りを迎えた。しかし、ウィンナ・ワルツの系譜上にあるウィンナ・オペレッタは、フランツ・レハールやエメリッヒ・カールマンなどが現れたことにより、20世紀初頭に「銀の時代」と呼ばれる第二の黄金時代を迎えた。さて、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士 」は、1911年1月26日、ドレスデン宮廷歌劇場で エルンスト・フォン・シューフの指揮、マックス・ラインハルトの演出によって初演され空前の大成功を収めた、と伝えられます。オペラが大評判になっていたため、コンサート用に編まれた管弦楽による編曲作品(組曲、ワルツなど )も多数存在しています。「ワルツ第1番 」は1944年に作曲者自身が第1幕と第2幕の素材から編纂したワルツですが、それより10年前の1934年に成立していた、「ワルツ第2番」は編曲者「不詳」という不思議なものですが、主に第3幕からの音楽が素材として使用されており、冒頭から木管楽器による長いトリルで始まるのが特徴で有名なワルツに仕上がっています。
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