GB RCA ARL1-1155 リン・ハレル ジェームズ・レヴァイン ロンドン交響楽団 ドヴォルザーク・チェロ協奏曲

34-13589

商品番号 34-13589

通販レコード→英レッド・シール黒文字盤

若さに溢れた2人の演奏家の気概がぶつかりあった爽快なまでの名演。 ―  ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、グレゴール・ピアティゴルスキー=シャルル・ミュンシュの次世代の名演としてRCAの代表盤となったもの。米RCAがロンドン交響楽団で録音した意欲的なセッションは、グラミー賞ノミネートしました。合衆国期待の新進チェロ奏者リン・ハーレルはドヴォルザークのチェロ・コンチェルトという話題盤で、わが国にデビューしたが経歴については詳しいことは伝えられていなかった。ジュリアード音楽院でレナート・ローズに師事し、チェロを学んでいた青年が、ガンで父を失い、その2年後に自動車事故で母を失います。ハレルは、両親の死と折り合いをつけるまでには長い時間がかかりました。しかし彼はこれまでに、人間の魂の持つ弾力というものは尋常ではないことに気づかされました。その後18歳になるまで、彼は親戚や友人の家をスーツケース一つとチェロを持って転々としていました。そして、ロバート・ショウとローズの推薦によりクリーヴランド管弦楽団のオーディションを受けた青年は生活のためにその職についたのでした。若くしてクリーヴランド管の首席奏者となっただけでなく、ローズの遺産の愛器を譲られた、というエピソードもまた、彼の実力を示していると思います。だが、その才能がどれほどのものであるかという点については、受賞歴などを列するまでもなく、わずか21歳の若さでクリーヴランド管弦楽団の首席奏者におさまったという事実を引き合いに出すだけで十分だろう。二流、三流のオーケストラならともかく、疑いなく世界屈指のクリーヴランド管の主席である。しかも当時の常任指揮者は、あのジョージ・セルである。四半世紀にわたる彼の指導の下で、このオーケストラが稀にみる充実ぶりを示していた頃の話だ。オーケストラに職を得ることにより生活の安定を得た青年は、ソリストとしての華やかな生活に少なからず憧れを持ち、オーケストラで演奏することに飽きてしまいます。すると、厳格で知られるセルは若いチェロ奏者を呼び、こんな話をするのです。セルは、私がブラームスの第2の第1楽章の第2主題を好きかどうか訊きました。で、私は好きだと答えました。するとセルはブラームスの3番の第3楽章の最初を好きかどうかと訊きました。私はまた好きだと答えました。するとセルはこう言いました。「まあ、なんだ、わかるだろう、自分一人ではそういうのを弾くことはできんのだよ。そういうメロディはたくさんの人間で弾くことを想定されて作曲されてるんだ」その後、オーケストラの曲をどうやって練習したら、チェロのセクション全体のようには弾けないために不満を感じていらいらしたりすることがないようにできるかということを話し合いました。セルは、こういうものは音楽史上の至宝であるということ、自分が曲全体の中の統合されてかつ重要な一部であると感じることができなければならないこと、そして私がそう感じない限り不満を感じないようにはならないこと、を語りました。それで私は彼の部屋から晴れやかな顔で出てきました。なんてすばらしいことだ、オーケストラの中で演奏できてそれを本当に楽しめるなんて!と思ったものです。ここには、コンクールを経て有名になり、ソリストとして活躍するのではない、師匠ローズと同様にオーケストラの一員として働きながら経験を積み、音楽を円熟させて行く生き方が示されているように思います。

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