今まで聴いた中で一番壮絶なマーラーの9番。 ― 交響曲9番は最高傑作とも言われるが、感激が残るものは特別な条件が必要に思っている。指揮者のレナード・バーンスタインに師事すると当時に、1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任した小澤征爾は、1973年、38歳のとき、このニューヨーク・フィルおよびシカゴ交響楽団と共にアメリカ5大オーケストラの一つに数えられるボストン交響楽団の音楽監督(第13代)に就任。当初はドイツグラモフォンとの契約でラヴェルのオーケストラ曲集、ベルリオーズのオーケストラ曲集など、シャルル・ミュンシュの衣鉢を継ぐフランス音楽の録音を続けた。その後マーラーの交響曲全集(『大地の歌』を除く)など、フィリップスへの録音を行った。ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことといわれる。2002年、小澤がボストン響を離れるさい、最後の演奏会としてボストン・シンフォニーホールで演奏したマーラー:交響曲第9番のライヴは第4楽章で観客がむせてしまうほど感極まるものだった。その演奏会で再び、最高傑作を実感したのだが、映画『マーラー』をロードショーで観た後で、それまで聴いたことなかった「悲劇的」や「夜の歌」、「千人の交響曲」に夢中になった。この映画で音楽は、ベルナルト・ハイティンク指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によって演奏されている。冒頭を交響曲3番の第1楽章で幻想的かつ不安な夢世界を描き、ラストは交響曲6番のいわゆる「アルマのテーマ」で希望を描く。選曲センスは抜群でした。1番から5番は、新しい演奏を気楽に楽しめるのですが「夜の歌」には抵抗のある演奏もあるので好き嫌いがシビヤで、9番は耳馴染みしている程度で、10番ともなると魅力がまだわからない。マーラーの音楽は極めて私的な動機で作曲されていますから、第9番ともなると作品は純粋を極めてしまい指揮者とマーラーのプライヴェートな領域との交信を必要とするのではないか。マーラーは指揮者として自身の交響曲を演奏会にかけていた。マーラーがスコアに込めたことを共有して表現する必要があって、よほどの特別な条件下で傑作の理由が発動する音楽。サー・ゲオルグ・ショルティの指揮活動の初期の録音の中からロンドン交響楽団とのマーラーの交響曲録音は、1961年に第4番、1964年に第1番、1966年に第2番、そして1967年にこの第9番がDECCAに録音されました。バーンスタインがマーラーの歌謡性に重きを置いたのに対し、ショルティはポリフォニーの表出とオーケストレーションの再現が主眼となっている。暴力的とすら言えそうなパートの鳴らせ方。全ての音が自己主張する中、ショルティは猛獣使いのようにムチを入れまくる。驚きとしか言いようがない。ここには厭世観など薬にしたくともなく、ただただアグレッシヴな音楽がある。ワーグナーの時と同じく、マーラーの書いた音符すべてを明確に鳴らしきった結果、マーラーのグロテスクさが全面に現れている。
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