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リリー・クラウスの絶頂期の記録

日本人が愛するモーツァルトの名盤を、日本軍によって失っていたかもしれない。拘留され第二次世界大戦終結まで軟禁された女流ピアニスト。
通販レコードのご案内《仏ディスコファイル・メタル使用盤》US HAYDN SOCIETY HS9056 リリー・クラウス モーツァルト ピアノ奏鳴曲K.457/K.284/K.475
ディスコフィル・フランセ録音

モーツァルト弾きとして知られるリリー・クラウスの最高傑作盤です。米ハイドンソサエティの本盤は、晩年の米国コロムビア盤と比して若い所為か情熱を内に秘めた、生命感に溢れる演奏です。 他のピアニストと比べると、自由自在なテンポ設定でフォルテは強いタッチで鳴らし非常に個性的です。
- ピアノソナタ第14番 ハ短調 K.457
- ピアノソナタ第6番 ニ長調 K.284
- 幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルトの音楽の持つ多様性を過不足なく的確に表現し、このフレーズはこうでなくては、と云うまさに正鵠を得た最高の演奏を聴かせてくれる。演奏家は身体で勝負するだけに、心身の衰えを如何にカバーしていくかが難しい。特に女性の場合、多くはそれに結婚・出産などが重なる。全身全霊を傾けた命がけの演奏家として、宇野功芳氏が挙げるのはアルゲリッチ、デュ・プレ、チョン・キョンファそれにリリー・クラウスと、みな女性だが長く第一線を保ち続けたのはクラウスぐらいで、彼女を驚異と宇野氏は捉えている。
彼女らは、いわゆる女性的なものを押し出さず、火のような情熱と作品に切り込んでいく深みにおいて男性奏者に匹敵する。しかし、このまま死んでもいいというほどの燃え尽き方を男性奏者は絶対にしないものではないか。ハンガリー生まれのリリー・クラウスは「モーツァルトは燃え立つ火です」と語っているが、クラウスの演奏にはパッションの炎が確かに感じられる。当時の演奏家としてはテンポの緩急の巾が大きく、ダイナミクスの変化にも激しさを見せるのは、内面から湧き上がる情熱が自然体として表層に上がってきた音楽で、現代の演奏家が大ホールに響き渡るような派手なパフォーマンスを恣意的に行っているものとは根本的に異なるものです。
ハ短調ソナタ K.457このソナタは、幸福感に満ちたK.330からK.333の4曲に続いて作曲された作品で、きわめて劇的な性格を持ったソナタであり、後のベートーヴェンにもっとも強く影響を与えた作品だといわれています。また、このソナタはK.475の《幻想曲ハ短調》とセットで演奏されることが多くて、その関係が昔からいろいろと取りざたされてきた作品でもあり、このレコードでも第6番を挟んで演奏されています。モーツァルトが2曲をその順序に組み合わせて出版したためでもあるのですが、しかし、両曲とも途中に明るいハ長調の部分があるにしても、基調はハ短調で深刻な情緒が支配的ですから、《幻想曲》だけ切り離して演奏したほうが効果的だという説も少なくありません。 モーツァルトが活躍した当時のコンサートではソナタの演奏に先立って幻想曲風の即興演奏を披露する事がよくあったそうです。このハ短調ソナタはモーツァルトの弟子であったトラットナー夫人のために書かれたもので、同じ調であるハ短調の幻想曲は彼女がコンサートで演奏するときのために、前半で披露する即興演奏のものとしてあらかじめ作曲したものではなかったのかというのが現在の定説となっています。手本としてモーツァルトが譜面にしたためた幻想曲を、夫人がいかに即興演奏としたかは想像を出ませんが、しかし、当時のピアノの可能性を限界まで使い切ったと思えるほどに広い音域とダイナミックな音量が求められるこのソナタを提供されたトラットナー夫人はそれなりの技量を持った女性であっただろうことが想像されます。 第6番のピアノソナタは、オペラの上演のために冬を過ごしたミュンヘンでデュルニッツ男爵からの注文に応えて作曲した、19歳の時の作品です。ニ長調という性格からも、明らかにハイドン風の特徴を持っていますが、今までの即興演奏などでため込んできたあれこれのアイデアをここに凝縮してまとめたものと思える、規模が大きく、まるで交響曲をピアノ用に編曲したような風情だといわれてきました。また、第3楽章の大規模な変奏曲形式はモーツァルトのソナタとしては他に例がなく、厳格な父レオポルドもこの作品をとても高く評価していました。とりわけ33小節にも及ぶアダージョ・カンタービレの第11変奏は本当に美しい音楽です。 ベートーヴェンに影響を与えた強烈なソナタと、即興演奏の風情のあるピアノ作品を組み合わせた、リリー・クラウスの演奏はモーツァルトの書いた音符を正確にバランスよく響かせることに意を注ぐのではなくて、モーツァルトが音符を使って書いた「心のドラマ」を再現しようと言うものです。譜面をめくる音も聞き取れることから、細切れの録音ではなく何回かテイクをとって、そのうちベストのものを採用しているようです。そのことも、このレコードの価値を高めているのかもしれません。彼女の演奏に虚心坦懐に耳を傾ければ、モーツァルトがこの音楽にこめた深い感情がヒシヒシと伝わってきます。そして、「人生は美しい、人生は生きるに足る」というモーツァルトのささやきが心に染みいってきます。リリー・クラウスのピアノはくっきりとしたフレージングで、モーツァルトのピアノ・ソナタなどは最近よく聴くような軽やかで透明感があるようなものとはまったく違って、正統派にして刺激的な歯ごたえがある。神経質では無い思い切りの良さが有る意味〝男性的〟ですが、モーツァルトに対する途方も無く深い愛情を本質に持つので、どの曲を聴いていても少しも飽きることなくモーツァルトの音楽がどんどんと心の中に浸みこんで来ます。
1956年パリ録音。通販レコード詳細・コンディション、価格
プロダクト
- レコード番号
- HS-9056
- 作曲家
- ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
- 演奏者
- リリー・クラウス
- 録音種別
- MONO
コンディション
- ジャケット状態
- M-
- レコード状態
- M-
- 製盤国
- US(アメリカ合衆国)盤
“Haydn Society” DARK GREEN WITH SILVER LETTERING, MONO 1枚組 (170g), Stamper 仏ディスコファイル メタル XTV 使用盤。通販レコード
詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。- オーダー番号34-25929
- 販売価格5,500円(税込)
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民族音楽への興味 ― 歌というものに対して不親切な時代における、ひとつの光明だ。

旋律は音楽の魂である。

“3大ヴァイオリン協奏曲”というのがある。ベートーヴェン、メンデルスゾーンに、ブラームスかチャイコフスキーの、何れかが挙げられる。 ― 3曲目が難しいので、“4大”にすると激論にならない。しかし、ほかにもヴァイオリン協奏曲には名作が数多い。
“10大”となれば必ず入選するのが、ドイツの作曲家マックス・ブルッフの代表作、ヴァイオリン協奏曲第1番だ。 -
“Refuge in Music” クラシック音楽のごちそうさん 110歳の天寿

Farewell Alice Herz-Sommer! We are saddened to hear that the visionary musician and survivor of the Theresienstadt concentration camp died yesterday. Her love of music and belief in its power brought solace and hope to many in one of history’s darkest hours.
Daniel Hope interviewed Herz-Sommer just a few months ago as part of the documentary “Refuge in Music”, a tribute to the musicians of the concentration camp “Terezin”. You can learn more about the film here: http://bit.ly/TerezinDVD
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指揮者クラウディオ・アバドをしのんで

音楽を楽しむ。それがピシっとした指揮姿から良く感じられたクラウディオ・アバドが亡くなって今月20日で、ひと月となる。
エグモントの音楽
BSプレミアムでは2014年2月10日、2つの演奏会が放送された。
前半は2012年のルツェルン音楽祭から、演奏会の様子は9月2日に Medici.tv で放送された。演奏会は8月10日。全体的にまだらな空白が客席に目立つのはマーラーの交響曲第8番からベートーヴェンの『エグモント』とモーツァルトの『レクイエム』に変更になったからだろう。この二曲なら大きいホールは必要ではなかったと思えるように、音響が遠い。迫力は薄めだけど、その分残響に助けられて聴きやすい。前半のベートーヴェンは、序曲は聴きなじんだもの。期待通り、セオリー通りの音楽となっていた。ソプラノのユリアーネ・バンゼのグレートヒェンは清楚な印象。ブルーノ・ガンツは語りで PA を使用したものでしたが全体整っていて違和感はなかった。
オーケストラの中にクラリネットのザビーネ・マイヤーを見つけた。
後半のレクイエムはオーケストラも加わったことで、前半の音響はかなり改善されている。ただ合唱の響きがオーケストラを圧するところがある。でも、キャパが大きい効果か澄んだ音楽に仕上がっている。
モーツァルトと弟子たちの共作としての《レクイエム》
ソプラノはアンナ・プロハスカ。バスはルネ・パーペ。テノールのマキシミリアン・シュミットはペーター・シュライアーを思い出させる。アルトのサラ・ミンガルドも理想に合う。リヒターが指揮した『レクイエム』の大好きな録音に並ぶ。
『レクイエム』はモーツァルトの最後の未完の作品であるのはご存知でしょう。自筆で残っているのは最初の2曲のみ。あとは弟子に口述して引き継がせました。あちらこちらにモーツァルトが完成していたら、もっと違う音楽に広がったんじゃないかなと思えるポイントが有ります。アバドはそういう期待も思わせながら、モーツァルトが描き上げた部分も書き上げなかった部分も一体とした音楽を作ります。
多くの録音が前半、後半と切り替える雰囲気があるのにアバドはアーメンをブリッジにして後半に音楽の気持ちを引き継いでいる。各曲を細切れにすること無く本来のプログラムがマーラーの千人の交響曲だったことを思い起こさせた演奏になった。
永遠の安息を、そして永遠の光に
現代の時間の中で再構成されたモーツァルトの音楽といえるだろう。言い換えれば、古楽演奏を学びとはしているけれどもモダン・オーケストラで楽しく聞かせていると言えば分り易いだろうか。
この演奏は現代音楽の響きに馴染んだ耳も楽しませる。もし《レクイエム》かぁ、と食指を伸ばさなかったままだったら後半だけでも聞き返して欲しい。もちろんいろいろなモーツァルトのレクイエムを聞いてきていたら、複数の版があるのを面白く並べ替えているというパズル的興味も持たされる。
最後のアーメン・フーガがまるごとカットされていて、そのかわり無音の中でアバドは一分間指揮棒を旨に抱いたまま黙祷する。
死は嘆き、省みるものではなくて生きている人が先に進むためにあるものなのです。
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Maria Callas, 1963

『マリア・カラスの真実』(フランス2007年。日本では2009年公開)は、マリア・カラスの生涯に焦点を当てたドキュメンタリー映画です。
有名なオペラ歌手ですが、後年、睡眠薬大量摂取での自殺未遂、睡眠薬や興奮剤を乱用し、肺血栓で53歳で亡くなりました。
なぜ、命を縮めるようなことを行い、50代という若さで亡くなったのでしょうか。映画は彼女の生涯を追います。
母親は男の子を望んでいましたが、生まれたのは女の子マリア。失望した母親は4日間も受け取りを拒否・・・マリアの兄が2歳で脳膜炎で亡くなり、母親は次の子は男の子を、と青い産着まで用意したそうです。
歓迎されず、居場所もありませんでした。6度の引っ越し。セールスマンの父は不在がち。家族団欒もありません。ハーレムの近くに引っ越しますが、母親は環境に馴染ませようとせず、部屋に閉じ込め、通りで遊ぶことも禁じました。
マリアは自分を無口で汚いと思っていて、学校では友人がなく「友達と遊んでも楽しくなかった」と彼女は語ります。
唯一の友、飼っていた小鳥に歌っていたマリアの歌の才能に気づいた母は条件付きで愛するようになります。
また母親は、自身の大女優になる夢を押し付けた部分もあったようです。映画の中でマリアが語ります。
「自分で決めた道ではなく、家族が決めた。家族と摩擦を起こさない為、従うしかなった」
「母がレールを敷いた。母は仕切っていた」
「親の代わりに出世しろ」
「お前の為に犠牲を払った」
「母からお金をくれないと新聞にぶちまける、と強請られた」とまで語る。そんな母親 を、晩年まで許せなかったそうです。映画は「この世に彼女の居場所はない。声だけが残った。」というナレーションの後、彼女の歌声で幕となります。
Maria Callas, 1963, in Paris, accompanying herself on the piano.
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GB DECCA SET471-2 ゲオルク・ショルティ シカゴ交響楽団 イヴォンヌ・ミントン マーラー・交響曲5番/少年の魔法の角笛
これはいかにもショルティならではの強烈無比な演奏だ。 ― 知名度という点ではヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインと並ぶ、20世紀、特に戦後を代表する指揮者。なによりもゲオルク・ショルティ(Sir Georg Solti、 1912年10月21日〜1997年9月5日)と関係良好だったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と後世に語り継がれるオペラをウィーンのソフィエンザールで次々と録音して、すでに定評があるショルティならでは、その複雑な構造、スコアの細部まで解き明かした演奏は、現在でも色褪せない魅力を放っています。数多のシカゴ交響楽団との伝説的名演の記念すべきスタートとなった、ゲオルク・ショルティが1969年、シカゴ響の第8代音楽監督に就任して最初に録音されたのがこのマーラー交響曲第5番。1970年には今日でも語り草になっているカーネギー・ホールでのマーラー交響曲第5番の大成功があり、引き続き1971年に行われた念願のヨーロッパ演奏旅行は、ジュリーニも帯同し、ウィーンでのマーラー交響曲第8番の録音も含めた約1.5ヶ月にもわたるイベントで各地で大きな好評を博した。帰国した彼らを市民らが大パレードで歓迎したことは有名である。この出来事以来、シカゴ響の存在が世界に知られるようになり、〝Solti/Chicago〟という呼ばれ方が定着して楽団員の士気も高まった。特に1970年代後半以降、首席奏者に交代がほとんどないなど安定した実力を発揮し続け、ヨーロッパへもたびたび渡るなど活躍を続けた。そのため、ショルティ時代にはシカゴ響はフリッツ・ライナー時代に次ぐ第2期黄金時代を迎え、世界最高のオーケストラの1つと言われるようになった。またベートーヴェン、ブラームス、マーラー、ブルックナーの交響曲全集をはじめとして多くのジャンルにおいて膨大な録音をデッカに行った。そのレパートリーは多岐にわたり、バッハからショスタコーヴィチまで幅広く網羅。半世紀にわたり一貫してDECCAに録音し数々の名盤を遺した重要なアーティストであり続けた。おそらく有名交響曲作家で一曲もやっていないのはシベリウスぐらいではないか。シカゴ響との演奏は世界における最も有名な指揮者とオーケストラのパートナーシップと高く評価され、グラミー賞も数多く受賞しました。ショルティは生涯にわたりグラミー賞を33回受賞しましたが、そのうち24回はシカゴ響とともに受賞して、受賞したアルバムの抜粋だけで専用アルバムを作ってしまうほどであった。ショルティの音楽の特性は硬派、豪快、ダイナミックで、甘えのない厳格かつ躍動感にあふれる演奏。その反面 、比類なき生彩に満ち満ちた輝きを放つ。早いテンポでオーケストラを煽り、楽器を鳴らしまくるため聞き逃されてしまうが、対位法などのオーケストレーションを含む曲の構造に留意し精緻なアンサンブルを要求するといった論理的なアプローチも特色の一つで、完全主義者といわれる所以でもある。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2JlGbhk
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GB DECCA SET325-6 ゲオルク・ショルティ ヘザー・ハーパー ヘレン・ワッツ ロンドン交響楽団 マーラー・復活
これはいかにもショルティならではの強烈無比な演奏だ。 ― 英雄の死と復活をテーマに、怖れと甘美さや戦慄と優美な憧れといった両極の情感が内在している、生きることの意味を追求する哲学的な内容を持ったマーラーの交響曲『復活』は、終楽章で最後の審判と復活が描かれる一大叙事詩ともいうべき作品です。ショルティの覇気みなぎる指揮は、若きマーラーの清冽なロマンティシズムを見事に引き出している。半世紀にわたりデッカの重要なアーティストであり続けたサー・ゲオルグ・ショルティの指揮活動の初期の録音の中から、ショルティの覇気溢れる清冽な指揮が広く世に認められたロンドン交響楽団とのマーラーの交響曲録音は、1961年にコンセルトヘボウ管弦楽団との第4番に続き、1964年の第1番に続いて、1966年に録音した第2番は、男性的な力強い突進力で進められるこの演奏は指揮者の強烈な個性によって貫かれており、聴く者に圧倒的な感銘をもたらしてくれます。ショルティの指揮する曲は概して大胆さや迫力で押し切る傾向が有りますが、この究極のマーラー全集、一千人交響曲などは、舞台から楽員が溢れはみ出しそうになっている大作、ゆっくりのテンポの美しい旋律は、とても「ラインの黄金」のドンナーを収録した同じ指揮者とは思えません。ショルティのイメージから聴き始めはマッシブでガチガチに硬派な演奏で、しなやかさに欠ける演奏と思いきや、単にオーケストラを煽るだけではなくて、あるいは自らの底にあるロマンティシズムが目覚めたからなのか、ロンドン響共々非常に共感に満ち、時にロマンティックなうねりすら聴かせるのですが、それが類い希なほどの説得力を持って聴き手に迫ってきます。かの歴史的な超名演であるワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」をウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とともにスタジオ録音している最中のもの。かかる録音も終わりに近づいており、そうしたことに去来するであろう自らの指揮芸術に対する漲るような自信と誇りが演奏自体にもあらわれているかのようである。リングの世界に没入することなかったショルティならでは、スコアを読み込むことで表現すべきものを得るような楽曲探求に振り回されず、充実している。ワーグナーの時と同じく、マーラーの書いた音符すべてを明確に鳴らしきった結果、マーラーのグロテスクさが全面に現れている。オーケストラの機能を最大限に生かした明晰で妥協のない演奏で、極めて現代的と評された1966年録音のマーラーだ。ロンドン響も、ショルティのメリハリのある指揮にしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っているとともに、ソプラノのハーパーやアルトのワッツをはじめとした声楽陣も最高のパフォーマンスを発揮していると評価したい。冒頭からただならない気配が支配し、その空気が全曲を覆う。オーケストラの響きは深々としていて実在感があり、息の長い旋律には生命感が漲り、押しと引きの対比も鮮やかで、精鋭のもつ驚異的な表現力の幅が遺憾なく発揮されています。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2L0ZAsT
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GB DECCA SXL6113 ゲオルク・ショルティ ロンドン交響楽団 マーラー・交響曲1番「巨人」
若々しい青春の息吹と濃密なロマンティシズムが横溢する、マーラーが28歳の時に書いた最初の交響曲第1番。 ― ショルティの覇気みなぎる指揮は、若きマーラーの清冽なロマンティシズムを見事に引き出している。半世紀にわたりデッカの重要なアーティストであり続けたサー・ゲオルグ・ショルティの指揮活動の初期の録音の中から、ショルティの覇気溢れる清冽な指揮が広く世に認められたロンドン交響楽団とのマーラーの交響曲録音は、1961年にコンセルトヘボウ管弦楽団との第4番に続き、1964年に第1番、1966年に第2番、そして1967年に第9番がDECCAに録音されました。ショルティは偉大なマーラー指揮者の一人であると考えているが、ショルティが録音したマーラーの交響曲の中で、3種類もの録音が遺されているのは、第1番と第5番しか存在していない。第5番は、ラスト・レコーディングも同曲であったこともあり、ショルティにとって特別な曲であったことが理解できるが、第1番に対しても、ショルティは第5番に比肩するような愛着を有していたのでないかと考えられるところだ。3種類の録音のうち、本演奏が最初のもの、そして同年(1964)のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのライヴ録音(オルフェオレーベル)、そしてシカゴ交響楽団とのスタジオ録音(1983年)がこれに続くことになる。ショルティの演奏は、スコアに記された全ての音符を完全に音化していくアプローチで、どの楽曲に対しても切れ味鋭いリズム感とメリハリの有る明瞭さで共通しているが、いずれ劣らぬ名演ながらも、シカゴ響との演奏と、1964年の2種の演奏はかなり性格が異なっている。そして、同時期に米コロンビアでいち早く世界最初のマーラー交響曲全集を完成させたレナード・バーンスタインがマーラーの歌謡性に重きを置いたのに対し、ショルティはポリフォニーの表出とオーケストレーションの再現が主眼となっている。楽曲に対するアプローチは終生変わることがなかったが、1983年の演奏は、鋭角的な指揮振りは健在でありながら円熟した大指揮者に相応しい懐の深さが付加され、聴き手にあまり抵抗感を与えないような包容力が表れ、シカゴ響の光彩陸離たる華麗な演奏ぶりが際立っている。その演奏に比して、あくまでも直球勝負の本演奏は第1楽章冒頭から終楽章の終結部に至るまで、ショルティの個性が全開。ショルティのメリハリのある指揮にロンドン響もしっかりと付いていき、持ち得る実力を発揮した見事な演奏を行っている。アクセントは鋭く、ブラスセクションは無機的とも言えるほど徹底して鳴らし切るなど、楽想の描き方の明晰さ、切れ味の鋭いシャープさは圧巻の凄味を誇っていると言える。ワーグナーの時と同じく、マーラーの書いた音符すべてを明確に鳴らしきった結果、マーラーのグロテスクさが全面に現れている。ショルティのリングで映画を作りたいくらいだが、その後のリングは劇場作品であることから飛び出さないままだ。ザ・ビートルズやローリング・ストーンズの登場で、当時のレコードファンは指揮者の個性をものすごく楽しんでいたんだと感じさせる。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2NGWqsE
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GB DECCA SET360-1 ゲオルク・ショルティ ロンドン交響楽団 マーラー・交響曲9番
今まで聴いた中で一番壮絶なマーラーの9番。 ― 交響曲9番は最高傑作とも言われるが、感激が残るものは特別な条件が必要に思っている。指揮者のレナード・バーンスタインに師事すると当時に、1961年ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任した小澤征爾は、1973年、38歳のとき、このニューヨーク・フィルおよびシカゴ交響楽団と共にアメリカ5大オーケストラの一つに数えられるボストン交響楽団の音楽監督(第13代)に就任。当初はドイツグラモフォンとの契約でラヴェルのオーケストラ曲集、ベルリオーズのオーケストラ曲集など、シャルル・ミュンシュの衣鉢を継ぐフランス音楽の録音を続けた。その後マーラーの交響曲全集(『大地の歌』を除く)など、フィリップスへの録音を行った。ボストン交響楽団の音楽監督は2002年まで務めたが、一人の指揮者が30年近くにわたり同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことといわれる。2002年、小澤がボストン響を離れるさい、最後の演奏会としてボストン・シンフォニーホールで演奏したマーラー:交響曲第9番のライヴは第4楽章で観客がむせてしまうほど感極まるものだった。その演奏会で再び、最高傑作を実感したのだが、映画『マーラー』をロードショーで観た後で、それまで聴いたことなかった「悲劇的」や「夜の歌」、「千人の交響曲」に夢中になった。この映画で音楽は、ベルナルト・ハイティンク指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団によって演奏されている。冒頭を交響曲3番の第1楽章で幻想的かつ不安な夢世界を描き、ラストは交響曲6番のいわゆる「アルマのテーマ」で希望を描く。選曲センスは抜群でした。1番から5番は、新しい演奏を気楽に楽しめるのですが「夜の歌」には抵抗のある演奏もあるので好き嫌いがシビヤで、9番は耳馴染みしている程度で、10番ともなると魅力がまだわからない。マーラーの音楽は極めて私的な動機で作曲されていますから、第9番ともなると作品は純粋を極めてしまい指揮者とマーラーのプライヴェートな領域との交信を必要とするのではないか。マーラーは指揮者として自身の交響曲を演奏会にかけていた。マーラーがスコアに込めたことを共有して表現する必要があって、よほどの特別な条件下で傑作の理由が発動する音楽。サー・ゲオルグ・ショルティの指揮活動の初期の録音の中からロンドン交響楽団とのマーラーの交響曲録音は、1961年に第4番、1964年に第1番、1966年に第2番、そして1967年にこの第9番がDECCAに録音されました。バーンスタインがマーラーの歌謡性に重きを置いたのに対し、ショルティはポリフォニーの表出とオーケストレーションの再現が主眼となっている。暴力的とすら言えそうなパートの鳴らせ方。全ての音が自己主張する中、ショルティは猛獣使いのようにムチを入れまくる。驚きとしか言いようがない。ここには厭世観など薬にしたくともなく、ただただアグレッシヴな音楽がある。ワーグナーの時と同じく、マーラーの書いた音符すべてを明確に鳴らしきった結果、マーラーのグロテスクさが全面に現れている。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2KXDsiZ
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GB CBS SET2013 バーンスタイン ロンドン響 スポーレンベルク ジョーンズ アンニアー レイノルズ プロクター ミッチンソン ルジャーク マッキンタイア マーラー・千人の交響曲
全盛期のバーンスタインが溢れんばかりの情熱とエネルギーで、見事にこの曲の真価を表現しつくした。 ― 第4番は全集録音の第1弾となったもので、バーンスタインは当時41歳。すでに華々しいキャリアがあったとはいえ、その演奏はまだみずみずしく迷いなく思い切りの良いストレートな表現、躍動感に満ちた敏捷な演奏は作品との相性も抜群だった。以来、バーンスタインはDVD作品を含めて3度にわたってマーラーの交響曲全集を録音した唯一の指揮者でもあるが、1960年代を中心に手兵ニューヨーク・フィルハーモニックを軸として録音した史上初の〝マーラー:交響曲全集〟はアナログ3chでレコーディングされており、マーラーの管弦楽法のすべてを解き明かすような、素晴らしい音質で楽しめます。後年の再録音全集にはない熱気を湛えた演奏は、今でもベストワンと呼ばれるに相応しい人類の音楽遺産と言えます。録音は1960~1975年という15年の歳月にわたってはいるが、その内訳は、1960年から67年にかけて収録された交響曲第1番から第9番、1975年の第10番『アダージョ』に、ジェニー・トゥーレル独唱の『亡き子を偲ぶ歌』と『4つの歌曲』、ジャネット・ベイカー独唱の『亡き子を偲ぶ歌』、さらに、リンカーン・センターこけら落としで演奏された交響曲第8番の第1部、暗殺されたロバート・ケネディ上院議員の告別式で演奏された第5番のアダージェットという、2つの貴重なライヴにまで及ぶボリュームがある。第8番はロンドン交響楽団を起用して、実によい音。バーンスタインのうまさがよくわかる好演です。マーラーの交響曲の中でも特異な位置を占めるこの第8番は、ともするとこけおどし的な演奏になりかねない千人の演奏者を必要とするもの。エレナ・スポーレンベルク(ソプラノ)、グィネス・ジョーンズ(ソプラノ)、ゲニス・アンニアー(ソプラノ)、アンナ・レイノルズ(アルト)、ノーマ・プロクター(アルト)、ジョン・ミッチンソン(テノール)、ウラディミール・ルジャーク(バリトン)、ドナルド・マッキンタイア(バス)、リーズ音楽祭合唱団、オービントン・ジュニア・シンガーズ、ハイゲート・スクール少年合唱団、フィンチレー児童音楽グループにロンドン交響楽団と合唱団。長大にして巨大な作品を、いささか強引ともいえる推進力で押しまくっており、その魅力を独自の視点から伝えている。濃厚な感情移入をみせる晩年の再録音とはまた違ったエキサイティングなもので、その熱っぽくストレートな訴えかけには、見事にこの曲の真価を表現しつくした魅力が溢れています。バーンスタイン壮年期の熱気と勢いが迸った演奏が楽しめる一枚だ。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2KMkEnK
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AU CBS 2BR220021 レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック マーラー・交響曲7番
通俗性と聖性とがマーラーのそれと見事に合致し、バーンスタインならではの俊敏さも伴った自在に変転する表情の妙味 ― 〝夜の歌〟でのバーンスタインの演奏は、この曲の本質を明らかにしたものとして語り継がれる演奏です。バーンスタインのマーラー演奏は極めてドラマティックなものだ。変幻自在のテンポ設定や思い切った強弱の変化、そして猛烈なアッチェレランドを駆使するなど、その劇的な表現は圧倒的な迫力を誇っており、聴いていて手に汗を握るような興奮を味あわせてくれる。バーンスタインは、DVD作品を含めて3度にわたってマーラーの交響曲全集を録音した唯一の指揮者でもあるが、1960年代を中心に手兵ニューヨーク・フィルハーモニックを軸として、第8番はロンドン交響楽団を起用して録音した史上初の〝マーラー:交響曲全集〟はアナログ3chでレコーディングされており、最高の音質で後年の再録音全集にはない熱気を湛えた演奏は、今でもベストワンと呼ばれるに相応しい人類の音楽遺産と言えます。この時代のニューヨーク・フィルには、フルートのジュリアス・ベイカー、オーボエのハロルド・ゴンバーグ、クラリネットのスタンリー・ドラッカー、ホルンのジェームズ・チェンバーズ、トランペットのウィリアム・ヴァッキアーノ、打楽器奏者のソール・グッドマン、ウォルター・ローゼンバーガーらが名手として名高い。コンサートマスターはジョン・コリリアーノ、デイヴィッド・ネイディアンであった。ニューヨーク・フィルのスペックの高い機能的で現代的なトーンが実にマッチしている、切れのいいソリッドな演奏です。マーラーの交響曲の中でも特異な位置を占めるこの第7番は、今ひとつとっつきにくさのある曲とも言え、細部の表情付けがスコアで過剰なまでに求められているこの作品はもともとバーンスタイン向きとはいえ、ここでの俊敏さも伴った自在に変転する表情の妙味はやはりこの頃のバーンスタインならでは。バーンスタイン自身が持つ通俗性と聖性とが、マーラーのそれと見事に合致し、同時にマーラーの持っていたユダヤ人としての屈折した精神をも体現している。バーンスタインの華麗な指揮と明快な音楽解釈、そして何より豊かな音楽的才能は大編成による豊かな表情と振幅の大きなダイナミズムを特徴とするものですが、ニューヨーク・フィル時代は音楽づくりがまだ率直なこともあり、勢いの良さとリズミカルな楽しさが聴きものともなっています。若きバーンスタインの魅力に溢れた一枚だ。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2KEpQtz
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US COLUMBIA MS6988 レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック バーンスタイン・名曲集
肩のこらない好盤 ― ハイドンの交響曲第88番が発売されたのは1969年となったが、その録音の直後にマーラーの交響曲第5番の第4楽章「アダージェット」だけの録音を挟んで本盤のセッションが組まれている。晩年のレナード・バーンスタインはもちろん魅力的である。たっぷりと思いを込めた ― 粘着質といいたいところだが、粘ってもてベタついた感じが全然しない ― ところは、同時代のヘルベルト・フォン・カラヤンやジュゼッペ・シノーポリとは異なっているようでいて共通する部分も感じられる。ピアニスト、指揮者、作曲家のいずれであろうとバーンスタインは音楽の世界の色を変えました。「オン・ザ・タウン」によってブロードウェイで初めての素晴らしい成功を収め、「ウエストサイド・ストーリー」は世界的なヒットとなりました。音楽ジャンルの境界線を破り輝く指揮者となり世界中の観衆を驚かせ、彼が登場する場所では〝レニー〟の愛称でもって愛情と賞賛に歓迎された、魅力的で音楽的な天才といえるでしょう。この手の作品演奏に関してレニーはよくカラヤンと比較されて文句をつけられたものである。確かに演出力という点ではカラヤンの足元にも及ばなかったが、明るい曲で示される天衣無縫な躍動感には欧州系の指揮者にはない魅力がある。晩年になるにつれ感情の高まりだけでなく全体へ細心の注意を払いながらも、演奏者と聴き手を高みへ誘導していくバーンスタインのスタイルが確立していきますが、然し、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の音楽監督に就任した当時のバーンスタインには、それとは違う特別な魅力がある。爽やかで楽しく、ワクワクする演奏だ。バーンスタインが1950年代から1970年代にかけてCBSに残した録音は、作曲家としての複眼的視点で緻密にアナリーゼされた解釈をもとに音楽の喜びを全身全霊で伝えようとする情熱に満ちている。この時代のニューヨーク・フィルハーモニックには、フルートのジュリアス・ベイカー、オーボエのハロルド・ゴンバーグ、クラリネットのスタンリー・ドラッカー、ホルンのジェームズ・チェンバーズ、トランペットのウィリアム・ヴァッキアーノ、打楽器奏者のソール・グッドマン、ウォルター・ローゼンバーガーらが名手として名高い。コンサートマスターはジョン・コリリアーノ、デイヴィッド・ネイディアンであった。本盤のグローフェでのヴァイオリン・ソロは作曲家、ジョン・コリリアーノの父の方のコリリアーノ。1958年から1973年までバーンスタインが担当した『ヤング・ピープルズ・コンサート(Young People’s Concert)』は、斬新なテーマの選定だけでなく楽曲の選定と構成、台本執筆とも自身で行っている充実した内容は、啓蒙家バーンスタインの面目躍如たるシリーズであり、彼の汎ゆる情熱と才能が指揮活動に向けられていた時期。バーンスタインの華麗な指揮と明快な音楽解釈、そして何より豊かな音楽的才能は大編成による豊かな表情と振幅の大きなダイナミズムを特徴とするものですが、ニューヨーク・フィル時代は音楽づくりがまだ率直なこともあり、勢いの良さとリズミカルな楽しさが聴きものともなっています。〝グレーテスト・ヒッツ〟を、同時代のアメリカの商業ロックに重ねて聴くのがいいだろう。つまり〝名曲集〟よりパフォーマンス。サーヴィス精神にあふれたバーンスタインならではの愉しく、それでいて深みも忘れない名演集です。加えて、アナログ録音初期~最盛期の米コロンビアの鮮明かつ精細でワイドレンジの〝360サウンド〟を心行くまで堪能できます。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2m1ZAux
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US CBS SBR235793 レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック ハイドン・交響曲99&100番「軍隊」
ハイドンの交響曲の最高峰といってよい ― 101番「時計」と並ぶ、100番「軍隊」は、けっして日本の格式張った軍楽隊の音楽ではなく、古典的な軍隊用の打楽器、大太鼓、シンバル、トライアングルを使った曲のひとつとして、大衆受けを狙った内容なので「ミリタリー」が良いと思え、軍隊というニックネームのお蔭でずいぶん損をしている。ハイドンの交響曲第93番から第104番までは、興行主ヨハン・ペーター・ザーロモンの誘いによりロンドン滞在中(1791〜95年)に書かれたことから、ロンドン・セット(またはザロモン・セット)と呼ばれ、103番と104番は、さらに高みに昇った曲だとは思うが、完成度という点では時計・軍隊には及ばないと思う。晩年のレナード・バーンスタインはもちろん魅力的である。たっぷりと思いを込めた ― 粘着質といいたいところだが、粘ってもてベタついた感じが全然しない ― ところは、同時代のヘルベルト・フォン・カラヤンやジュゼッペ・シノーポリとは異なっているようでいて共通する部分も感じられる。晩年になるにつれ、感情の高まりだけでなく全体へ細心の注意を払いながらも、演奏者と聴き手を高みへ誘導していくバーンスタインのスタイルが確立していきますが、然し、ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任した当時のバーンスタインには、それとは違う特別な魅力がある。ハイドンの演奏は難しいのだという。通り一遍の演奏はできても、そこを超えるのがたいへんだ。同じように曲が素晴らしくても、だれが演奏しても曲の素晴らしさが前面に出てくるモーツァルトと違い、ハイドンの場合演奏家を選ぶ。演奏家によっては、各曲の個性が表に出て来ず、至極平凡な曲で終わってしまっています。それでバーンスタインのように曲にのめり込むタイプの感情移入の激しい指揮は、ハイドンには不向きのように先入観を思えるのだが、いざ聴いてみればバーンスタインの演奏は彼の体臭をほとんど感じさせない。何よりもハイドンを前面に浮かび上がらせた清潔な演奏になっている。爽やかで楽しく、ワクワクする演奏だ。バーンスタインが1950年代から1970年代にかけてソニー・クラシカルに残した録音は、作曲家としての複眼的視点で緻密にアナリーゼされた解釈をもとに、音楽の喜びを全身全霊で伝えようとする情熱に満ちている。もちろん楽団はニューヨーク・フィルハーモニックでもあり、今ではあまり聴かれなくなった重量感のある骨太の演奏で、たっぷり鳴らしているのは確かなのだけれど、けっしてうるさくない。この時代のオーケストラ奏者には、フルートのジュリアス・ベイカー、オーボエのハロルド・ゴンバーグ、クラリネットのスタンリー・ドラッカー、ホルンのジェームズ・チェンバーズ、トランペットのウィリアム・ヴァッキアーノ、打楽器奏者のソール・グッドマン、ウォルター・ローゼンバーガーらが名手として名高い。コンサートマスターはジョン・コリリアーノ、デイヴィッド・ネイディアンであった。バーンスタインのハイドンは明朗快活、ホットな動的な演奏。セルとは別の意味で端正です。ハイドンはバーンスタインのなかでも大きく占める作曲家であり、彼の汎ゆる情熱と才能が指揮活動に向けられていた時期。バーンスタインのハイドン演奏は、大編成による豊かな表情と振幅の大きなダイナミズムを特徴とするものですが、ニューヨーク・フィル時代は音楽づくりがまだ率直なこともあり、勢いの良さとリズミカルな楽しさが聴きものともなっています。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2KOtEaZ
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FR CBS S77307 レナード・バーンスタイン ニューヨーク・フィルハーモニック ハイドン・交響曲82番&83番&84番&85番&86番&87番
FR CBS S77307 レナード・バーンスタイン ハイドン・交響曲82番/83番/84番/85番/86番/87番
商品番号 34-12736
通販レコード→仏ダーク・ブルー・レーベル黒文字盤 Walking Eye
太陽の光をいっぱいに浴びて清涼感溢れているハイドン。 ― 晩年のレナード・バーンスタインはもちろん魅力的である。晩年になるにつれ、感情の高まりだけでなく全体へ細心の注意を払いながらも、演奏者と聴き手を高みへ誘導していくバーンスタインのスタイルが確立していきますが、然し、ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任した当時のバーンスタインには、それとは違う特別な魅力がある。バーンスタインが1950年代から1970年代にかけてソニー・クラシカルに残した録音は、作曲家としての複眼的視点で緻密にアナリーゼされた解釈をもとに、音楽の喜びを全身全霊で伝えようとする情熱に満ちている。バーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任して4年が経過した、1964年。交響曲第82番ハ長調『熊』から録音が始まった、ハイドンの「パリ交響曲集」は、1967年に交響曲第87番イ長調を録音して完成。ニューヨーク・フィル時代からハイドン演奏を数多く行い、交響曲に留まらず声楽曲の分野でもCOLUMBIAに多くの録音を行ってきたバーンスタインは、ニューヨーク・フィルの音楽監督を退任後も1970年代終わりまで声楽曲を5曲、交響曲は18曲を録音。ハイドンはバーンスタインのなかでも大きく占める作曲家であり、彼のあらゆる情熱と才能が指揮活動に向けられていた時期。バーンスタインのハイドン演奏は、大編成による豊かな表情と振幅の大きなダイナミズムを特徴とするものですが、ニューヨーク・フィル時代は音楽づくりがまだ率直なこともあり、勢いの良さとリズミカルな楽しさが聴きものともなっています。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2tXksr3
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GB CBS 77 231 レナード・バーンスタイン ロンドン交響楽団 アーロヨ ヴィージー ドミンゴ ライモンディ ヴェルディ・レクイエム
劇的な激しさとともに、そこにある歌心と優しい抒情に感銘を見出す ― レナード・バーンスタインが1950年代から1970年代にかけてソニー・クラシカルに残した録音は、作曲家としての複眼的視点で緻密にアナリーゼされた解釈をもとに、音楽の喜びを全身全霊で伝えようとする情熱に満ちている。ロンドンの巨大なロイヤル・アルバート・ホールで、3日間にわたり当時流行の4チャンネル録音により収録されたエポック・メイキングなヴェルディの「レクイエム」。収録に先立って催されたコンサートは超満員を記録し、当時のロンドンはその話題で持ちきりだったという。マーティナ・アーロヨ(ソプラノ)、ジョセフィーヌ・ヴィージー(メゾ・ソプラノ)、プラシド・ドミンゴ(テノール)、ルッジェロ・ライモンディ(バス)、レナード・バーンスタイン指揮ロンドン交響楽団&合唱団による演奏で、1970年2月25日、セント・ポール大聖堂におけるライヴはDVDが出ている。この映像の冒頭に、バーンスタイン自身のナレーションが入ります。1940年の4万人の死者を出したロンドン大空襲において、被災しなかったセント・ポール教会で多くの爆撃を受けた人々に哀悼をささげる。あらゆる戦禍と迫害は忌まわしい非人道的行為であり、過去の犠牲者のみならず現代と未来の我々のためにも、この演奏を捧げる。過去の死者のためのみらなず、いま、生きる者の苦悩のためにも
続けて2度の世界大戦、朝鮮、ベトナム、ナイジェリアなどの戦争の名をあげ、さらに指導者の暗殺などにも言及しています。ヒューマニスト、バーンスタインならではの思いの発露でしょう。ロンドンの交響楽団員も従軍して、多くが戦死。負傷して帰ってきたりと、男性演奏者の不足でJB卿の苦労が思い出される。終戦から四半世紀、レコーディングには女性奏者もいただろうが、男性だけのオーケストラには復興の力強さを感じる。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団では、ザビーネ・マイヤーを入団させようとしたヘルベルト・フォン・カラヤンとオーケストラの間で、大きな軋轢が生まれたことは別な話です。目を転じて日本では、東京大空襲だけで、11万7,000人、二度の原爆で20万人超、全国に空襲は広がり、50~100万ともなる一般市民の犠牲がある。国策で運営されたオーケストラが日本にはないので、戦後一様に女性楽団員が記憶に残るのは日本特有の事情だろう。バーンスタインは、のちに広島に訪れ、心からの追悼の念を持って、みずからの「カデッシュ交響曲」を指揮しました。1970年代のヨーロッパ・オーケストラ演奏を伝える映像からは、体躯の良い男性楽団員が居並ぶ様子に、国力の充実を感じ取れる。歌手陣の豪華さも特筆もので、テノールには若き日のドミンゴが名を連ねる。アーロヨ、ヴィージー二人の女声の歌声にしびれる「レコルダーレ」、若々しいドミンゴの歌う「インジェミスコ」、滑らかな美しいライモンディの「コンフタティス」。ことに、「ラクリモーサ」はバーンスタイン独特の世界が展開され、痛切なる思いに浸ることとなりました。いずれも、イタリアオペラ的でないバーンスタインの流儀のカンタービレは、平和を望む世界の人々の気持ちを受け止めた歌と感情に即したグローヴァルに訴える平和の願いを込めた力強さ。収録からすでに半世紀近くが経過しているが、全奏者が一丸となった凄絶な熱演は今も色褪せることはない。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2lWUtLT
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