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民族音楽への興味 ― 歌というものに対して不親切な時代における、ひとつの光明だ。

旋律は音楽の魂である。

“3大ヴァイオリン協奏曲”というのがある。ベートーヴェン、メンデルスゾーンに、ブラームスかチャイコフスキーの、何れかが挙げられる。 ― 3曲目が難しいので、“4大”にすると激論にならない。しかし、ほかにもヴァイオリン協奏曲には名作が数多い。
“10大”となれば必ず入選するのが、ドイツの作曲家マックス・ブルッフの代表作、ヴァイオリン協奏曲第1番だ。 -
リリー・クラウスの絶頂期の記録

日本人が愛するモーツァルトの名盤を、日本軍によって失っていたかもしれない。拘留され第二次世界大戦終結まで軟禁された女流ピアニスト。
通販レコードのご案内《仏ディスコファイル・メタル使用盤》US HAYDN SOCIETY HS9056 リリー・クラウス モーツァルト ピアノ奏鳴曲K.457/K.284/K.475
ディスコフィル・フランセ録音

モーツァルト弾きとして知られるリリー・クラウスの最高傑作盤です。米ハイドンソサエティの本盤は、晩年の米国コロムビア盤と比して若い所為か情熱を内に秘めた、生命感に溢れる演奏です。 他のピアニストと比べると、自由自在なテンポ設定でフォルテは強いタッチで鳴らし非常に個性的です。
- ピアノソナタ第14番 ハ短調 K.457
- ピアノソナタ第6番 ニ長調 K.284
- 幻想曲 ハ短調 K.475
モーツァルトの音楽の持つ多様性を過不足なく的確に表現し、このフレーズはこうでなくては、と云うまさに正鵠を得た最高の演奏を聴かせてくれる。演奏家は身体で勝負するだけに、心身の衰えを如何にカバーしていくかが難しい。特に女性の場合、多くはそれに結婚・出産などが重なる。全身全霊を傾けた命がけの演奏家として、宇野功芳氏が挙げるのはアルゲリッチ、デュ・プレ、チョン・キョンファそれにリリー・クラウスと、みな女性だが長く第一線を保ち続けたのはクラウスぐらいで、彼女を驚異と宇野氏は捉えている。
彼女らは、いわゆる女性的なものを押し出さず、火のような情熱と作品に切り込んでいく深みにおいて男性奏者に匹敵する。しかし、このまま死んでもいいというほどの燃え尽き方を男性奏者は絶対にしないものではないか。ハンガリー生まれのリリー・クラウスは「モーツァルトは燃え立つ火です」と語っているが、クラウスの演奏にはパッションの炎が確かに感じられる。当時の演奏家としてはテンポの緩急の巾が大きく、ダイナミクスの変化にも激しさを見せるのは、内面から湧き上がる情熱が自然体として表層に上がってきた音楽で、現代の演奏家が大ホールに響き渡るような派手なパフォーマンスを恣意的に行っているものとは根本的に異なるものです。
ハ短調ソナタ K.457このソナタは、幸福感に満ちたK.330からK.333の4曲に続いて作曲された作品で、きわめて劇的な性格を持ったソナタであり、後のベートーヴェンにもっとも強く影響を与えた作品だといわれています。また、このソナタはK.475の《幻想曲ハ短調》とセットで演奏されることが多くて、その関係が昔からいろいろと取りざたされてきた作品でもあり、このレコードでも第6番を挟んで演奏されています。モーツァルトが2曲をその順序に組み合わせて出版したためでもあるのですが、しかし、両曲とも途中に明るいハ長調の部分があるにしても、基調はハ短調で深刻な情緒が支配的ですから、《幻想曲》だけ切り離して演奏したほうが効果的だという説も少なくありません。 モーツァルトが活躍した当時のコンサートではソナタの演奏に先立って幻想曲風の即興演奏を披露する事がよくあったそうです。このハ短調ソナタはモーツァルトの弟子であったトラットナー夫人のために書かれたもので、同じ調であるハ短調の幻想曲は彼女がコンサートで演奏するときのために、前半で披露する即興演奏のものとしてあらかじめ作曲したものではなかったのかというのが現在の定説となっています。手本としてモーツァルトが譜面にしたためた幻想曲を、夫人がいかに即興演奏としたかは想像を出ませんが、しかし、当時のピアノの可能性を限界まで使い切ったと思えるほどに広い音域とダイナミックな音量が求められるこのソナタを提供されたトラットナー夫人はそれなりの技量を持った女性であっただろうことが想像されます。 第6番のピアノソナタは、オペラの上演のために冬を過ごしたミュンヘンでデュルニッツ男爵からの注文に応えて作曲した、19歳の時の作品です。ニ長調という性格からも、明らかにハイドン風の特徴を持っていますが、今までの即興演奏などでため込んできたあれこれのアイデアをここに凝縮してまとめたものと思える、規模が大きく、まるで交響曲をピアノ用に編曲したような風情だといわれてきました。また、第3楽章の大規模な変奏曲形式はモーツァルトのソナタとしては他に例がなく、厳格な父レオポルドもこの作品をとても高く評価していました。とりわけ33小節にも及ぶアダージョ・カンタービレの第11変奏は本当に美しい音楽です。 ベートーヴェンに影響を与えた強烈なソナタと、即興演奏の風情のあるピアノ作品を組み合わせた、リリー・クラウスの演奏はモーツァルトの書いた音符を正確にバランスよく響かせることに意を注ぐのではなくて、モーツァルトが音符を使って書いた「心のドラマ」を再現しようと言うものです。譜面をめくる音も聞き取れることから、細切れの録音ではなく何回かテイクをとって、そのうちベストのものを採用しているようです。そのことも、このレコードの価値を高めているのかもしれません。彼女の演奏に虚心坦懐に耳を傾ければ、モーツァルトがこの音楽にこめた深い感情がヒシヒシと伝わってきます。そして、「人生は美しい、人生は生きるに足る」というモーツァルトのささやきが心に染みいってきます。リリー・クラウスのピアノはくっきりとしたフレージングで、モーツァルトのピアノ・ソナタなどは最近よく聴くような軽やかで透明感があるようなものとはまったく違って、正統派にして刺激的な歯ごたえがある。神経質では無い思い切りの良さが有る意味〝男性的〟ですが、モーツァルトに対する途方も無く深い愛情を本質に持つので、どの曲を聴いていても少しも飽きることなくモーツァルトの音楽がどんどんと心の中に浸みこんで来ます。
1956年パリ録音。通販レコード詳細・コンディション、価格
プロダクト
- レコード番号
- HS-9056
- 作曲家
- ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
- 演奏者
- リリー・クラウス
- 録音種別
- MONO
コンディション
- ジャケット状態
- M-
- レコード状態
- M-
- 製盤国
- US(アメリカ合衆国)盤
“Haydn Society” DARK GREEN WITH SILVER LETTERING, MONO 1枚組 (170g), Stamper 仏ディスコファイル メタル XTV 使用盤。通販レコード
詳細の確認、購入手続きは品番のリンクから行えます。- オーダー番号34-25929
- 販売価格5,500円(税込)
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“Refuge in Music” クラシック音楽のごちそうさん 110歳の天寿

Farewell Alice Herz-Sommer! We are saddened to hear that the visionary musician and survivor of the Theresienstadt concentration camp died yesterday. Her love of music and belief in its power brought solace and hope to many in one of history’s darkest hours.
Daniel Hope interviewed Herz-Sommer just a few months ago as part of the documentary “Refuge in Music”, a tribute to the musicians of the concentration camp “Terezin”. You can learn more about the film here: http://bit.ly/TerezinDVD
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指揮者クラウディオ・アバドをしのんで

音楽を楽しむ。それがピシっとした指揮姿から良く感じられたクラウディオ・アバドが亡くなって今月20日で、ひと月となる。
エグモントの音楽
BSプレミアムでは2014年2月10日、2つの演奏会が放送された。
前半は2012年のルツェルン音楽祭から、演奏会の様子は9月2日に Medici.tv で放送された。演奏会は8月10日。全体的にまだらな空白が客席に目立つのはマーラーの交響曲第8番からベートーヴェンの『エグモント』とモーツァルトの『レクイエム』に変更になったからだろう。この二曲なら大きいホールは必要ではなかったと思えるように、音響が遠い。迫力は薄めだけど、その分残響に助けられて聴きやすい。前半のベートーヴェンは、序曲は聴きなじんだもの。期待通り、セオリー通りの音楽となっていた。ソプラノのユリアーネ・バンゼのグレートヒェンは清楚な印象。ブルーノ・ガンツは語りで PA を使用したものでしたが全体整っていて違和感はなかった。
オーケストラの中にクラリネットのザビーネ・マイヤーを見つけた。
後半のレクイエムはオーケストラも加わったことで、前半の音響はかなり改善されている。ただ合唱の響きがオーケストラを圧するところがある。でも、キャパが大きい効果か澄んだ音楽に仕上がっている。
モーツァルトと弟子たちの共作としての《レクイエム》
ソプラノはアンナ・プロハスカ。バスはルネ・パーペ。テノールのマキシミリアン・シュミットはペーター・シュライアーを思い出させる。アルトのサラ・ミンガルドも理想に合う。リヒターが指揮した『レクイエム』の大好きな録音に並ぶ。
『レクイエム』はモーツァルトの最後の未完の作品であるのはご存知でしょう。自筆で残っているのは最初の2曲のみ。あとは弟子に口述して引き継がせました。あちらこちらにモーツァルトが完成していたら、もっと違う音楽に広がったんじゃないかなと思えるポイントが有ります。アバドはそういう期待も思わせながら、モーツァルトが描き上げた部分も書き上げなかった部分も一体とした音楽を作ります。
多くの録音が前半、後半と切り替える雰囲気があるのにアバドはアーメンをブリッジにして後半に音楽の気持ちを引き継いでいる。各曲を細切れにすること無く本来のプログラムがマーラーの千人の交響曲だったことを思い起こさせた演奏になった。
永遠の安息を、そして永遠の光に
現代の時間の中で再構成されたモーツァルトの音楽といえるだろう。言い換えれば、古楽演奏を学びとはしているけれどもモダン・オーケストラで楽しく聞かせていると言えば分り易いだろうか。
この演奏は現代音楽の響きに馴染んだ耳も楽しませる。もし《レクイエム》かぁ、と食指を伸ばさなかったままだったら後半だけでも聞き返して欲しい。もちろんいろいろなモーツァルトのレクイエムを聞いてきていたら、複数の版があるのを面白く並べ替えているというパズル的興味も持たされる。
最後のアーメン・フーガがまるごとカットされていて、そのかわり無音の中でアバドは一分間指揮棒を旨に抱いたまま黙祷する。
死は嘆き、省みるものではなくて生きている人が先に進むためにあるものなのです。
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Maria Callas, 1963

『マリア・カラスの真実』(フランス2007年。日本では2009年公開)は、マリア・カラスの生涯に焦点を当てたドキュメンタリー映画です。
有名なオペラ歌手ですが、後年、睡眠薬大量摂取での自殺未遂、睡眠薬や興奮剤を乱用し、肺血栓で53歳で亡くなりました。
なぜ、命を縮めるようなことを行い、50代という若さで亡くなったのでしょうか。映画は彼女の生涯を追います。
母親は男の子を望んでいましたが、生まれたのは女の子マリア。失望した母親は4日間も受け取りを拒否・・・マリアの兄が2歳で脳膜炎で亡くなり、母親は次の子は男の子を、と青い産着まで用意したそうです。
歓迎されず、居場所もありませんでした。6度の引っ越し。セールスマンの父は不在がち。家族団欒もありません。ハーレムの近くに引っ越しますが、母親は環境に馴染ませようとせず、部屋に閉じ込め、通りで遊ぶことも禁じました。
マリアは自分を無口で汚いと思っていて、学校では友人がなく「友達と遊んでも楽しくなかった」と彼女は語ります。
唯一の友、飼っていた小鳥に歌っていたマリアの歌の才能に気づいた母は条件付きで愛するようになります。
また母親は、自身の大女優になる夢を押し付けた部分もあったようです。映画の中でマリアが語ります。
「自分で決めた道ではなく、家族が決めた。家族と摩擦を起こさない為、従うしかなった」
「母がレールを敷いた。母は仕切っていた」
「親の代わりに出世しろ」
「お前の為に犠牲を払った」
「母からお金をくれないと新聞にぶちまける、と強請られた」とまで語る。そんな母親 を、晩年まで許せなかったそうです。映画は「この世に彼女の居場所はない。声だけが残った。」というナレーションの後、彼女の歌声で幕となります。
Maria Callas, 1963, in Paris, accompanying herself on the piano.
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GB Chandos ABRD1149 ジェフリー・サイモン ロンドン交響楽団 スメタナ・歌劇「売られた花嫁」序曲と舞曲、弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」
大作曲家の埋もれた秘曲を優秀な録音で ― ストコフスキー・フリークでもある指揮者、ジェフリー・サイモンはストコフスキー協会会長でもあるだけに留まらず、ロンドンで自らCALAレーベルを設立して、その復刻に尽力。彼の意向が反映した埋もれた作品の発掘にも積極的で、大作曲家の珍しい作品ばかりを世に出して話題となった世界初録音盤も多く存在します。本盤は、そうした特徴が顕著に現れている。スメタナの歌劇「売られた花嫁」序曲は、コンサート・ピースとしておなじみだが、歌劇から管弦楽が際立つナンバーを繋いで交響組曲風に仕立てている。さらに弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」はジョージ・セルが編曲してクリーヴランド管弦楽団と録音したことで有名な管弦楽版での演奏。つくづくストコフスキーに倣ったという趣だ。普段演奏しない楽曲で、ロンドン交響楽団の楽団員は楽しかったろう。珍しい曲と、優秀録音。印象に残るジャケット・デザインで話題となった、シャンドスを代表する録音だ。とくに、〝シャンドス・サウンド〟とも呼ばれる、その専用の録音施設と高い技術から生み出される優れた音質には定評があり、ジェフリー・サイモンはブライアン・カズンズについて大変優れた耳を持っており、常人には聴こえない音を聴くことができるエンジニアだったと語っている。カタログには、知名度の高い作曲家の作品はもちろんのこと、ハーバート・ハウエルズ、ジェラルド・フィンジ、チャールズ・スタンフォード、アーノルド・バックスのようなあまり知られていないイギリスの作曲家による交響曲や合唱曲、吹奏楽曲、室内楽曲が多く含まれている。初めて制作した録音はブロッホの『神聖祭儀』(アヴォダート・ハコデシ)で、当初から新人の発掘には力を入れており初期の録音にはマリス・ヤンソンス、ナイジェル・ケネディ、キングズ・シンガーズといったアーティストが著名になってEMIと契約を締結する前に残した作品があるほか、リチャード・ヒコックス、ジャナンドレア・ノセダ、ネーメ・ヤルヴィ、ヴァーノン・ハンドリーといった指揮者が録音している。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2qXcjS5
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GB Chandos ABRD1093 ジーン&ケネス・ウェントワース シューベルト・Music For Piano Duet Vol.1 大二重奏曲、アンダンティーノと変奏曲
二人のピアニストが演奏しているというのを忘れさせる ― 息のあったピアノの技術、イメージしている音楽が一致している芸術性高い、ピアノ・デュオの理想を堪能できる。統一された印象が残る、このレコードは二人のピアニストが厳密な調和で、一連の鍵盤を弾くことが如何に超難度であることかを忘れてしまう。 ― アメリカ、カナダを中心に活動し、イギリスとヨーロッパ各地で数多くのコンサートを行い、中東都アジアでツアーをしたピアノ・デュオ、ジーン・ウェントワース&ケネス・ウェントワースの録音について American Record Guide は書いている。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2Fcg4rc
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GB Chandos ABRD1068 ジャック・ロススタイン ウィーン・ヨハン・シュトラウス管 The Magic Of Vienna And Strauss シュトラウス2世・管弦楽曲集
ヴィエナ・プリミエール ― 音楽の都ウィーンで栄えたシュトラウス一族と、その仲間たちのレア作品を集めたシャンドス初期の好企画シリーズ。2015年春、ウィーン9区にシュトラウス家の遺品を主な収集対象とするヨハン・シュトラウス王朝の博物館がオープンした。ヨハン1世、ヨハン2世、ヨーゼフ、エドゥアルト1世の4人のみに対象を限定せず、エドゥアルト1世の息子であるヨハン・シュトラウス3世も対象としている点が特徴的である。オーディオ・ステーションが設けられており、代表的な作品から知名度の低い作品まで多彩なシュトラウス・ファミリーの作品群を楽しむことができる。ワルツの申し子たち、ジャック・ロススタインとヨハン・シュトラウス管弦楽団が贈るのは、ワルツ王が治めたシュトラウス王朝の隠れた名作たちの楽しさと素晴らしさ。シュトラウス一家のワルツを中心にしているが、基本的に珍しい曲が中心であり、ヨハン2世を中心に、一族では録音が少ないエドゥアルトの曲が多く収録されていたり、そのエドゥアルトの息子、ヨハン3世の作品が収録されていたりと、シュトラウス・ファンには嬉しい内容。 またファールバッハ、ツィーラー、ミレッカーと言ったシュトラウス以外の作家の曲も収録されているので、ウィーン・ライト・ミュージックファンにもおすすめ。ジャック・ロススタインは1925年にポーランドのワルシャワで生まれたが、2歳の時に一家はイスラエルに移住するも彼は、その後エジプトのカイロに住む叔母に預けられ、フランスの学校に通いながら音楽を学んだ。第二次世界大戦中、ロスシュタインは中東の軍隊のために演奏するミュージシャンとしてイギリス軍に参加するように招かれたのを機会にイギリスでの生活が大部分を占める人生を送った。1954年のカール・フレッシュコンクールで頭角を現し、ユーディ・メニューインのバース祝祭管弦楽団に参加。やがてアカデミー室内管弦楽団のリーダーを勤め、ロンドン・チェコ・トリオのメンバーを20年間続けた。ヨハン・シュトラウス管弦楽団と彼自身のアンサンブルであるロンドンのウィーン管弦楽団とのツアーを幅広く行いました。キャリアはクラシック音楽だけにとどまず、ソロ活動では映画や英国テレビシリーズでも録音している。ザ・ビートルズの「アイ・アム・ザ・ウォルラス」、アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」所収の「ウィズィン・ユー、ウィズアウト・ユー」のヴァイオリン演奏はむしろ知られるところだろう。本盤の演奏も、〝ヨハン・シュトラウス管弦楽団〟と作曲家の名前を冠したオーケストラだけあり、上手。ヨハン・シュトラウスたちの音楽の新たな魅力がきっと見つかります。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2Fd6y7e
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FR VSM 2C069-02996 ヴィリー・ボスコフスキー ウィーン・ヨハン・シュトラウス管 古きウィーンの序曲集 OUVERTURES VIENNOISES
私はあくまでヴァイオリニストが本職で指揮は趣味である。 ― と言ったヴィリー・ボスコフスキーが60歳になったとき、“この歳はヴァイオリニストとしては老年と言えるでしょうが、指揮者なら80歳で充実した年齢と言えるでしょう。したがって、私はこれから指揮することに次第に重点を置くでしょう”と述べた。彼はことにモーツァルトの曲を愛し、戦前はピアニストのリリー・クラウスとモーツァルトのソナタ全曲を録音している。ボスコフスキーはモーツァルトをウィーン風に軽快に明るく何とも言えぬ美しい音色で演奏する。しかし、彼は何にもまして〝ワルツ王〟ヨハン・シュトラウスを好み、その音楽の権威であると自負している。1970年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を退団したが、かつてのシュトラウスのように“立ち弾き” で人気を博した新年コンサートの指揮は続けた。名手揃いのウィーン・フィルの面々が、いつになくリラックスした様子でシュトラウス作品の演奏に取り組むさまが、ライヴ盤を聴く度に目に浮かびます。20世紀のヨハン・シュトラウス2世の生まれ変わりとしてウィーン楽壇に齎した彼の功績は大きい。しかし、1979年秋に健康上の理由でこれを辞退したあとは伝統あるヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者として活躍した。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団は19歳の〝ワルツ王〟ヨハン・シュトラウス2世により結成されました。若きシュトラウスは「美しく青きドナウ」など自作ワルツを携え、欧州のツアーを行いました。結果、大成功をおさめ、作曲家とともに楽団はヨーロッパ中の的となりました。現在の楽団は、かつてエドゥアルト・シュトラウス1世が解散したシュトラウス管弦楽団を再建するという建前で、ウィーン放送交響楽団を中心としたウィーンの名だたるオーケストラから選抜された楽団員で、1966年に結成された。そこでシュトラウス一家の伝統の継承者として、エドゥアルト・シュトラウス1世の孫であるエドゥアルト・シュトラウス2世が創立者として招かれた。1969年にエドゥアルト・シュトラウス2世が早世すると、その後楽団はウィーン・フィルのコンサートマスター、ボスコフスキーの時代にその名声を確立。その後もヴァルター・ゴールドシュミット、クルト・ヴェス、アルフレート・エシュヴェ、マルティン・ジークハルト、オーラ・ルードゥナーといった著名な指揮者を招いています。ことウィンナ・ワルツの演奏に関してはウィーン・フィルに次いで権威あるオーケストラとなっている。〝ワルツ王〟シュトラウス一族が築いたウィンナ・ワルツの伝統を今に受け継ぎ、聴衆を魅了し続けています。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2qVjGsy
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DE EMI 1C037-03 460 ヴィリー・ボスコフスキー ウィーン・ヨハン・シュトラウス管 ツィーラー・ワルツ、ポルカ、行進曲〜管弦楽曲集
これは管弦楽法がすばらしいので、見事に鳴るんだ。しかし結局、魅力の秘密なんか考えてもしょうがないな。 ― ジムロック社からワルツ「皇帝円舞曲」の楽譜が出版されることを心から喜んでブラームスが語った言葉だ。ワルツ王、ヨハン・シュトラウス2世の「十大ワルツ」に数えられ、その中でも『美しく青きドナウ』と『ウィーンの森の物語』とともに「三大ワルツ」に数えられる「皇帝円舞曲」は曲調壮大なワルツ幻想曲の趣があり、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどはウィンナ・ワルツの中では唯一繰り返し取り上げた指揮者もいる。ドイツ帝国の首都ベルリンで「ケーニヒツバウ(国王の建築)」と命名された新しいコンサートホールが開場することとなった時に、5日間にわたる柿落とし演奏会のために著名な音楽家たちに作曲・指揮の依頼が行われた。シュトラウス2世は『手に手をとって』という題名の曲を初演することが、当時のベルリンやウィーンの新聞が報じている。この演奏会には、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世とオーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の臨席が予定されていた。五夜にわたる祝典演奏会の最初に指揮するという名誉ある要請であったことと、独墺両国の親善を祝う意味でつけられた曲名だった。のちにベルリンの楽譜出版社「ジムロック」が曲名を『皇帝円舞曲』と改めたほうがよいと強硬に主張し、シュトラウス2世がこれを受け入れたことで現在の曲名に変更された。ジムロック社の考えでは「皇帝」とは複数を意味する含みがあったようだ。発表されるとたちまちヨーロッパ中で評判になり、当時ウィーンで軍楽隊長を務めていたカール・ミヒャエル・ツィーラーは出版されたピアノ譜をもとにして自分で勝手に管弦楽曲に編曲し演奏してしまった。ツィーラーとシュトラウス2世は生前、互いに一番のライバルと言ってもよい存在でした。このツィーラーの行動にシュトラウス2世は激怒し、当時はすでに弟のエドゥアルト・シュトラウス1世に指揮活動をほとんど任せていたにも関わらず、ウィーン楽友協会で自ら指揮してウィーン初演を行った。もっともシュトラウス2世は当時オペラ『騎士パズマン』の作曲に取り組んでいて多忙だったことから、この依頼を断ろうとした。それを報酬が良かったことで腰を上げたぐらいだったので、ライバル心が火をつけた。ブラームスはシュトラウス2世の大親友だったが、彼は当時シュトラウス2世のことを年老いて創造力が減退したと思っていた。二重和声が付けられたシリーズや、普段から簡単な楽曲ばかりを作曲しているにも関わらずわざわざ「誰でも弾けるピアノ曲集」などと銘打ったシュトラウス2世のこの時期の作品群をブラームスは嫌っていた。「交響曲はブラームスが作曲するからいい」と言い、競い合うのを嫌ったヨハン・シュトラウス2世に、当時ベートーヴェンの正統な後継者と称えられていたブラームスは「シュトラウスの音楽こそウィーンの血であり、ベートーヴェン、シューベルトの流れを直接受けた主流である」と言っているし、ワーグナーは「彼はヨーロッパ音楽の最高峰の一つである。われわれの古典はモーツァルトからシュトラウスまで一筋に続いている」と評している。リヒャルト・シュトラウスは、「世界に歓びを分けあたえるべく天性の素質に恵まれている者のなかで、ヨハン・シュトラウスこそ、とりわけ私を惹きつけはなさぬ最高の人」と称賛しており、シュトラウス2世を思い浮かべることなしに『ばらの騎士』のワルツを生み出すことはありえなかったと言っている。未完に終わったが、マーラーはウィーン宮廷歌劇場で上演するバレエ曲を委嘱している。このように同時代の仲間から極めて高い評価を得ているにも関わらず、ワルツやポルカといった作品はしばしば「低俗」と見なされ、今日においてそれらの作曲家であるシュトラウス2世の知名度の割にはクラシック作曲家としての評価は一般的に高くない。1989年のニューイヤーコンサートの録音終了後、ソニー・クラシカルはCD発売権を得るために指揮者カルロス・クライバーに50万マルクという高額を提示した。この時、ドイツ・グラモフォンの元社長は「たかがダンス音楽に?だったらベートーヴェンの作品のCDを一枚出すのにどんな額になる?」との思いを抱いたというエピソードはその好例である。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2qQkajj
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AU EMI ESD7045 ヴィリー・ボスコフスキー ウィーン・ヨハン・シュトラウス管 ランナー・ワルツ曲集
ピークが100年持続した。全音楽史のなかでももっとも高い山脈 ― オペレッタのブームも含めて、19世紀を席巻したのはなにを措いてもワルツ。時はまさにビーダーマイヤーの時代で、大きな向上を望めないなかで日常の悦楽を求めるようになっていた。快感原則が謹厳な道徳的価値観を打ち破り、ウィーン特有の「ゲミュートリヒカイト(心地よさ)」文化を築く元となった。本盤は、ウィンナ・ワルツが骨の髄まで染みこむなど職人気質を持つヴィリー・ボスコフスキーによる定番のシュトラウス・ファミリーやレハールではないワルツ集。ウィンナ・ワルツは、19世紀のウィーンで流行し〝ウィーン会議〟を通してヨーロッパ中に広まっていった3拍子のワルツ。ワルツ以前、貴族の世界ではメヌエットが優雅に踊られていた。手を取り合って身体の距離を保ったまま踊るメヌエットから、身体を寄せあって相手の腰に手を廻らしてくるくる回り踊るワルツの魅力はあきらかにセクシュアルなもので、一世を風靡するようになる。その時代から庶民的な踊りとしてドイツ舞曲やレントラーと呼ばれるものが踊られていたが、公の場で顰蹙を買いながらも次第に官能的な踊りが認められるようになった、「ワルツの世紀」とも呼ばれる19世紀初頭、ウィーンにミヒャエル・パーマー率いる楽団があった。ウィンナ・ワルツを創始するヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウス1世は共にパーマー楽団の団員であった。彼らの時代になってホイリゲの片隅でバンド活動していた身分から、大きなダンスホールで大衆を相手に演奏するとようになったのがワルツ発展の大きなエポックになった。ふたりは「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争の中で、ウィンナ・ワルツを発展させていった。当時のウィーンで圧倒的な人気を誇り、ショパンにウィーンで『華麗なる大円舞曲』を出版することを断念させたほど。ランナーのファンにはシューベルトがおり、それぞれのご贔屓筋が競争して応援を繰り広げるような状態だった。彼らのほかにもファールバッハの楽団など、2番手、3番手のワルツ作曲家が目白押しでブームの層の厚さがピークの高さを作り出していた。シュトラウス1世の息子ヨハン・シュトラウス2世はウィンナ・ワルツの黄金時代を築くランナーはその最初のピークを築いた人で、後続がたくさん出てきたにもかかわらず、ピークの高さが見劣りしないすばらしい魅力に溢れている。1曲ごとに気の利いたネーミングがされるようになったのも、ランナーの工夫の一つ。いっぺんに親しみやすくなったのと同時に、1曲ごとの個性化になくてはならない発想の元ともなった。天才が早死にしたのは残念ながら、シュトラウス1世に比べても音楽の工夫やエレガンスにおいて遥かに優れた天性の音楽家のように感じられる。ポルカ、ギャロップ、レントラーなどもあり、アルバムを通して飽きずに楽しめるだろう。ときおり現れるメランコリックな表情が他にない魅力だろう。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2F2Yo11
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GB EMI CFP4517 ヴィリー・ボスコフスキー ウィーン交響楽団 ワルツ曲集 〜 Invitation To The Dance
伝統の強み? ― 本盤は、ウィンナ・ワルツが骨の髄まで染みこむなど職人気質を持つヴィリー・ボスコフスキーによるシュトラウスやレハールではないワルツ集。「ワルツの世紀」とも呼ばれる19世紀初頭、ウィーンにミヒャエル・パーマーという音楽家の率いる楽団があった。ウィンナ・ワルツを創始するヨーゼフ・ランナーとヨハン・シュトラウス1世はともにパーマー楽団の団員であった。ふたりは「ワルツ合戦」と呼ばれる熾烈な競争の中で、ウィンナ・ワルツを発展させていった。当時のウィーンで圧倒的な人気を誇り、ショパンにウィーンで『華麗なる大円舞曲』を出版することを断念させたほどだ。ランナーのファンにはシューベルトがいたし、シュトラウス1世の息子ヨハン・シュトラウス2世はウィンナ・ワルツの黄金時代を築き、ロシアのチャイコフスキーやフランスのワルトトイフェルなどにも多大な影響を与えた。シュトラウス2世を始めとするウィンナ・ワルツの作曲家たちは、ワルツと同様にポルカや行進曲などの作曲も手掛け、さらにウィンナ・オペレッタの分野にも進出し重要な役割を果たした。しかし、ここではワルツに限定して話しを進める。ウィンナ・ワルツは、19世紀のウィーンで流行しウィーン会議を通してヨーロッパ中に広まっていった3拍子のワルツ。ウェーバーは「舞踏への勧誘」と題したピアノ曲でワルツを初めて芸術音楽として紹介し、それを管絃楽に編曲したベルリオーズは交響曲の中にワルツを初めて登場させた。チャイコフスキーはバレエ音楽にワルツを組み込んだが、ウィンナ・ワルツにおける3拍子は、2拍目をやや早めにずらすように演奏される均等な長さを持たない独特の流動感を生んでいるが、これは当時の演奏習慣ではなく20世紀中頃に成立した習慣である、とする見解もある。1899年のシュトラウス2世の死やワルトトイフェルの引退などによって、世紀末に一区切りを迎えた。しかし、ウィンナ・ワルツの系譜上にあるウィンナ・オペレッタは、フランツ・レハールやエメリッヒ・カールマンなどが現れたことにより、20世紀初頭に「銀の時代」と呼ばれる第二の黄金時代を迎えた。さて、リヒャルト・シュトラウスの楽劇「ばらの騎士 」は、1911年1月26日、ドレスデン宮廷歌劇場で エルンスト・フォン・シューフの指揮、マックス・ラインハルトの演出によって初演され空前の大成功を収めた、と伝えられます。オペラが大評判になっていたため、コンサート用に編まれた管弦楽による編曲作品(組曲、ワルツなど )も多数存在しています。「ワルツ第1番 」は1944年に作曲者自身が第1幕と第2幕の素材から編纂したワルツですが、それより10年前の1934年に成立していた、「ワルツ第2番」は編曲者「不詳」という不思議なものですが、主に第3幕からの音楽が素材として使用されており、冒頭から木管楽器による長いトリルで始まるのが特徴で有名なワルツに仕上がっています。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2HycNYd
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ヴィリー・ボスコフスキー
Willi Boskovsky 1909.6.16-1991.4.21
オーストリア
ボスコフスキーは、ウィーンの純美な音楽伝統の化身ともいうべき、まさに“ウィーン気質”の音楽家であった。ウィーンに生まれ、ウィーン音楽アカデミーに学び、1932年にウィーン国立歌劇場管弦楽団に入団、翌年からウィーン・フィルのメンバーとなり、1939年から1970年までコンサートマスターを務める傍ら、ボスコフスキー四重奏団(ウィーン八重奏団に発展)、ウィーン・フィル四重奏団を組織して室内楽演奏に勤しみ、母校で後進の指導にも当たった。1969年にウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の指揮者に就任、さらにウィーン・モーツァルト合奏団やボスコフスキー合奏団を指揮して活躍した。ボスコフスキーの存在を忘れがたくさせているのは、何よりも1955年から1979年までウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを弾き振りした時の、これぞウィンナ・ワルツの神髄ともいうべき優雅で爽快な名演によってである。1975年と1979年のライヴ録音盤を含む「ウィンナ・ワルツ大全集」(1957〜79年)と、ウィーン・モーツァルト合奏団を指揮したモーツァルトのセレナード&ディヴェルティメント全集(1967〜1978年、LONDON)は、ともに永遠の遺産といえる。 -
DE EMI SLS5274 ヴィリー・ボスコフスキー ミュンヘン放送管 ジークフリート・イェルザレム ヘレン・ドナート レハール・微笑みの国
レハール畢生の悲劇のオペレッタ? ― クレメンス・クラウス時代のような瑞々しさは後年のウィーン・フィルにはないように思っています。ヴィリー・ボスコフスキーがコンサート・マスターとなって引き継ぎ、聴かせてきた音楽とは反対にロリン・マゼールの徹底してバトンをしっかり振り続けて「キッチュなウィーン音楽」を現出して見せた演奏をウィーン音楽録音全体に横溢しているのではないでしょうか。レハールの自作自演盤でソロを担当していた ― ウィーンの国立歌劇場で、第2ヴァイオリンを担当していたある日、作曲家レハール本人から、「国立歌劇場で私の指揮で私の作品を上演することになったので、そのソロを弾いてくれないか」と頼まれて「ジュディッタ」のヴァイオリン・ソロを引き受けたところ、眩い出来で、それ以来当時の大コンサートマスター、ロゼーから目の敵にされるようになって困ってしまったそうである。ボスコフスキーが今度は指揮者として小気味の良いテンポとメリハリのある演奏で楽しませてくれます。やはり作曲家の指揮の下で演奏したというのは大きいのでしょうか。この「微笑みの国」は1929年、「メリー・ウィドウ」の成功から実に24年の時を経てベルリンのメトロポール劇場で初演されたレハール畢生の作品です。日本では「メリー・ウィドウ」以外は知られていないようですが、「微笑みの国」も代表作オペレッタで、「メリー・ウィドウ」の次に人気が高い。オペレッタといえば不倫や恋の戯れを描いた軽妙な喜劇が多く作られていた時代に、ここには洋の東西、西洋と東洋の軋轢の問題が描かれています。アジアとヨーロッパの根本的な相違を主題に採りあげたのはレハールの作曲家としての慧眼ですね。しかしこのオペレッタの最大の魅力はやはり透明なまでの純度を保ったレハールの音楽。オーヴァチュアの第一音から、この作品の美しいメロディーは聴く者のこころを捕えて離しません。チャーミングな歌いまわしを魅力としているオペレッタの中にあって、レハールはこの作品以前に「パガニーニ」(1925年)、「ロシアの皇太子」(1927年)で悲劇を扱っています。そして、この作品はオペレッタには珍しい悲劇となっています。タイトルロールのジークフリート・イェルザレムはバイロイト音楽祭のワーグナー上演でおなじみになる。本盤の録音は1982年で、既にバイロイトでも歌ってたとはいえ、後にジークフリートやトリスタンに挑戦する頃程は重い声ではない。彼はプロオーケストラのファゴット奏者出身という変り種で、キャリア初期はオペレッタも歌ってステージ成れから次第に声を磨き上げていた。ヘレン・ドナートもバイエルン放送交響楽団でのリヒャルト・シュトラウスのオペラの常連。今でもこのオペレッタはドイツ語圏では人気がある。オペラ好きの方には、実に楽しい聞きものになるでしょう。from 100年後でも聴いて楽しいアナログ名盤レコード https://ift.tt/2HaTO6T
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